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荘子内篇 逍遥遊第一からなる僕の世界

荘子内篇 逍遥遊第一からなる僕の世界

荘子内篇 逍遥遊第一から始る荘子の無窮の世界観、逍遥遊(しょうようゆう)とは、とらわれのない自由な境地に心遊ばせることらしく、この言葉を頼りに、土日は最近勝手に僕の隠れ家的に使っている誰と詳しく言うと小さな蝉や小鳩が騒ぎだしますから詳しく言わないですが、、、

知り合いのマンションに身を潜め、コタツに入り寝そべり本を読み、飯を食べ、また寝そべりながら本を読み、換気扇の下にたばこを吸いに行く時と飯が運ばれて座って食べるまでの土日の9割8分くらいを横になって過ごしております。

そうして眠くなったらベットで眠り、朝飯できたら起こしてもらいまた寝そべり本を読む。僕的には老荘を考えるかなりの整った状況になります。

 

どうして僕はこれを自分の家でしないのか?土日を家族と過ごさないのか?こう言う世俗の感覚がそもそもイケなく捕らわれている、またこの人にしても、どうしてこの男はフラッと現れてずっとここで寝て本を読んでいるのでしょう?ドライブでも行かない?と言われれば、僕はここで本を読んで居るから1人で行きなよ、と横になっているだけ。

そうして腹が減った、と言えば嬉しそうに飯を作ってくれる。

ここは僕にとり菩提樹の下より居心地よく、もの思いにふけるには最適すぎ、しかも埼玉ですから近くのパーキングも24時間とめて300円という価格、今までの土日のパチンコにキャバクラにデート費用を考えるとせっかく安定している心も騒めきます。逍遥遊、逍遥遊。

今までの僕はせっかくの休日なのだから遊ばなければ損だ、の感覚で金銭的にも精神的にもかなりの損を出していたような気がいたします。

せっかくだから遊ばなければ損だ、という貧乏根性が、焦る乞食の貰いが少ないどころか大損していた気がします。

それでも僕はこうやっていつでも出没できる場所があるだけでも世間的には充分に遊んでいるのかもしれませんが、小さい小さい、僕の遊びは破産と隣合わせでなければ遊んだうちに入りません。

 

老荘思想で少しわかりかけてきたのが、対立する概念を対立させずに包括してみております。

光があれば影もあり、生があれば死があり、法があるから悪ができ、無用も有用も、とにかく9万里の彼方から見下ろしてみろ、どちらでも同じだよ、と大雑把なたやとうようなものの見方であります、無が有を産む。

こんなのは四海の外で遊ばなければ出てこない発想であります。

心のストレッチ、ただでも緩い僕の頭と精神が荘子の無窮の世界で広がる感覚。

小難しい文章を読んでは目を閉じ、その文を心に遊ばせ印象を漂わせる、心のなかの広さが体験できます、今までの自分がどうしてあんなことで悩んだりしていたのかが不思議なくらい、適当にやってれば人生なんて何とかなっちまうんじゃないかな。

なんとかならなければ僕なんて、まぁ、野垂れ死にが妥当でしょうよ。

 

 

 

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