僕からすると、無用に事を荒立てる奴は馬鹿だ、と思いますが、その無用に事を荒立てる馬鹿が生き残り、成功するのもまた事実。
競争がすべてではないと言いたいですが、競争原理の世の中、強い者が生き残るのならば、事を荒立てようが荒立てまいが、生き残るものは生き残るでしょうから、かえって無用に勝負にさらされて勝ち残っていれるなら、ことを荒立てて生きている方が楽しいかもしれません。
なにかを始めるにあたって、なにもないに越したことはありませんが、果たしてそんなことはあるのでしょうか、なさそうです。
そうして何か事が起こったらあって当然の事なのにビビくり無難なところで手を打とうなど最もつまらないことで、ここで折角おこったアクション、さあ、どうやって自分のものにしようか、、、、なんだったら自信があるのなら更に場を荒れさせ、どうせ勝つのは俺だから楽しもうと。。。。
いわば後の先を取るということに心躍らせ、カウンターを決めるには相手が打ってこないとどうにもなりません。
無難に生きていければそれに越したことはございませんが、ある種の人より何か多くのものを獲ようとする場合にはどうしても、何かしらの横槍が入って来て更にはその後方からも後ろ槍が入って来て当然。
くらいで構えていると、なにか不要なアクションが起こっても、え、これだけか、、、と足りないもっとなんか起これよ、と刺激中毒のイカレ野郎になれます。
僕は思うのですが、ある種のレベルになるとよく言う一線を超える、その一線を越えて来るのは当然で、その先の死線を超えて来るのかどうかが人物の見極めに重要な判断となり、更にはそこで生き残っているということ。
僕もその境地に辿りつけるよう日々ふざけて生きているのですが、まだまだ先の話になりそうです。
人間、とかく無難なところで手を打ちたがりますが、成功者に人格者はいますが無難な人間を見たことがありません。なにかこう、いい意味と悪い意味でどこかしらぶっ飛んでいます。
自分の人生です、引く必要がない時に引く必要はないです、自分の思うがままやってみて、失敗したら自分の実力不足と反省し生きていればやり直せば良いし、死んだらそれこそそれまでの人生です。
PS僕の知り合いの株式会社K4の社長田中和明は、ある未来で猿田博士に1+1=1だと教えたのは俺だと言っておりました。