リビドーとは精神分析学の祖、フロイトが提唱した簡単に言えば生への衝動、行動の源のエネルギー、と、ホントに簡潔に言えばそのようなものです。
そうしてこのリビドーと云うもの、モラルなく故にか?矛盾なく実にストレートに、ただただ自覚なくその欲求のみを満たそうとし人間社会で人間として生きようとする者を苦しめます。
どうして生への欲求に苦しめられるのかと云うと、人は成長過程で自我ができ、更にはそれを律する超自我などができて、リビドーの赴くままに生きてたら捕まっちゃうよ、人間社会で生きてたいなら周りと歩調を合わせなさい、が、自我に超自我の簡単に言えば役割です。
リビドー、ドイツ語ではes、英語ですとIt、日本語ではそれは、的な、、、なんとも不気味に人間の心の中を徘徊し、フロイトいわくとにかく幼子の時から人間は性を満たそうとしているとし、人間の心を読み解く上では欠かせない重要な概念のひとつがリビドーです。
基本的に人間の心の構造は自我、超自我、にes(リビドー)で構成されていて、夢を見るのもこの抑圧されたリビドーの欲求を満たすためであり、ただリビドー、モラルなくその欲求はドぎつく生ナマしく身も蓋もないので、自分はこんな欲求抱えてたんだーと自己嫌悪し自我の崩壊を阻止するために超自我のフィルターは掛かっております、そのフィルターの変換ミスが悪夢になったりもするらしいです、これが夜みる夢の基本的な構造です。
と、、この頃の精神分析学の話になると僕は好きなので話が長くなってしまいます、この頃の精神分析学はまだ人間の心の中に神が介在し、まぁそれをフロイトが幼児性説で否定し、現在のなになに心理学みたいに科学的統計的根拠に乏しく、文学や芸術的に人の心の構造を感じられるのが好きで、と、また長くなりそうなのでいったん止め、とりあえずリビドーとはこのような厄介な代物でそれが人間の中にある、と思って話を進めます。
人間は脳を得た代わりに本能がなくなった、これはなにで読んだか忘れましたがそうらしいんです、、、
その本能をなくしたはずの人間の、実に本能らしい部分がリビドーと云う感じが僕はいたしております。
で、このリビドー、精神分析学的に悪者に扱われている部分が多いのですが(超簡単に言うとリビドーと超自我の摩擦に葛藤が精神病を作ると)僕のように生き残って目的達成に手段や方法を特に問わない人間にとっては、超自我(自己規律)こそ敵であり、行動の判断基準をリビドーに委ねることが多いです。
例えば、例えばですよww
不倫、、、
・モラル(超自我)的に言わせれば、絶対駄目だよ、社会的に破滅の可能性もあるし何より家族に悪いもの。。。ホントはしたいんだけれどね。心に葛藤ができ悪夢となってうなされるでしょう。
・リビドーに従い行動すると、、、駄目、好きホント愛してる、今まで会った女で一番美人だよ(僕はこの台詞をみんなに言ってるらしいです)、で軽く一線を越える。好きなんだもんっっ我慢する方がおかしいよ、やはり人間多少の罪悪感は生まれますが、目的は達成しておりますからたいして葛藤は生まれません、あとは野となれ山と為れ。。。ストレスフリーです。
駄目だ、眠くなってきました、リビドーの赴くままに、楽しくなってきたから長くなりそうですので続きはこの次。
とりあえず眠ります、これもリビドーの所為、、、
忘れないように次はリビドーの持つもろ刃の部分にも触れる。快感原則の彼岸。