フロイトは晩年に、快感原則の彼岸と云う著書でリビドーは二つの欲求衝動で織りなってると説いています。
エロス(生の衝動)とタナトス(死の衝動)がリビドーの構造の中にあると、、、生と死の願望。
リビドーの赴くままにやっていて危ないのはこの辺で、だいたいリビドーの求めるものはロクなもんでなく、呑む、打つ、買うに終始し、まぁなかなかな退廃を味あわせてくれ、その果てに見えて来るものは、タナトスです。
ただフロイト、タナトスについての部分はいまいちまとめ切れていないですが、人間の行動を見れば確実に破滅的衝動は含んでおります。
こちらが闇を見つめる時は闇もまたこちらを見ている、確かドフトエフスキーの言葉であり、安易に精神の中など覗こうとするとロクな事にならないでしょう。
タナトスは究極的なところで涅槃を目指しているらしいですが、それも怪しいでしょう、リビドーの求めるもの煩悩にまみれています。
でも煩悩にこれでもかとまみれてまみれて生き残ったらその先に悟り(涅槃)はあるのかもしれません、逆もまた真理なり、と確かニーチェも言っていたし。。。
僕の経験では、リビドーに従いよかったな、と思う所は、これ、敢えて自分の精神ではありますが、これ、全く思いどうりに動かないので客観視してみると、これは自分の欲しい物のある時、それは僕の欲しい物とリンクしている気もするしまた別の意思と感じる事もございますが、欲しい物のある時。
僕にヒントを与える、例えば本屋に行き、フっと手にし購入した本にそれを手に入れる術や考え方が書いてあったり、なんとなーく人に巡り会わせてくれたり、頭で考えるとこちらを取った方が絶対得でしょ、を拒み、一見損しますが最終的な正解を、触覚的な感覚で伝えて来ます。
だいぶ胡散臭くオカルト的ですが、リビドーただただ原始的な性を求めるだけでなく、文化的な性も与えてくれると思っております。
リビドー、esの声を聞くには、自分に精神分析をかけると聞こえ易くなります。
例えば、自分を探るのに、どうして今、一瞬自分は戸惑い、自分自身に嘘をつこうとした?、と云う事は自分でも自覚したくない精神の動きがここにある、そのワードは?とどんどん掘り下げていくと、コンプレックスに当たり、オーケー認めよう、僕はこれにコンプレックスを持っている、だとしたら克服する方法は?でドンドン精神のしこりを取ってく、更に夢判断、どうしてこんな夢を見たのか?重要なワードは?で追い詰めて行くと、自我、超自我、es(リビドー)となんとなく自分の精神を自分の精神でありながら区分けする事が可能になった気がします。
すると自分の精神の動きがおおよそ把握できるので後は、リビドー的な衝動に従えば良いだけです。
僕は短絡的な人間ですからリビドーの破壊衝動に楽だから従いますが、規律を求めたいなら自我に従う、更なる規律を求めるなら超自我に従う、なんて考えると、嫌なことも継続出来たりもいたすような気がします。
だいぶ胡散臭くオカルト的ですが、こんな事を考えているとそもそも人間に精神なんてあるのか?なんて気分にもなって来ます。
僕はもう完全に闇に取りつかれて居るでしょう。。。