足るを知る者は富める者である、と老子は諭しております。
年末年始の傍若無人なバカ騒ぎを省みて、フッと、足るを知る、と云うフレーズが頭から離れなく。。。
自分と云う人間が如何にだらしなく、特に女と金には、、、自分がいやになっちゃうッ嫌いになっちゃうッ。
ただそれもこうお家で大人しくブログなんてやってる時にはそんな気持ちもありますが、一度出歩きちょっと女の子に褒められればいい気になり、足りねぇ足りねぇ、もっと褒めろと金を使う。
キャバクラなんて見栄の遊びだよ、なんて冷めつつも、本心は女の子大好きと心は熱くなり、抱こう抱こうと、まずは太客になろうと見栄張っちゃうの。
僕だって、まぁバカなんですがそこまバカではないのでありまして、そんな自分が好きでもあり嫌にもなり葛藤の中の矛盾に遊び、使った金の無駄さ加減にため息をつく。
無駄金に死に金、お金は投資に使うものです、、、消費でも下の下の使い方の部類の見栄金。
荘子は、無用の用、なんて教え諭しておりますが、こう云う無駄金使いはどうなんでしょうかね?
大きな意味で無用の用、、、にはならないでしょう。
すぐに調子に乗る自分、特に女の子が絡むと、、、今年の目標は、無、を知ろうと思います。
上善は水の如し、老荘思想の行きつくところの、無、とは何かを探ればもう少しマシな自分になれるような気が、今は、そういう気がいたします。
僕の今年の目標は、無、です。ふざけてないですからね。