僕は小説家で一番好きなのは誰か?となったら色々おりますがたぶん太宰と答えると思います。
まずこの太宰治と云うペンネームからしてふざけております、本名は津島修治、太宰のペンネームには諸説ございますが、僕は単純に堕罪を治めるから来ているような気が致します。
江の島の心中で死んだ女の贖罪のつもりか何なのか、どうしても罪を背負いたいイズムを感じてなりません。
あと根拠としては、人間失格の中の主人公の葉蔵が絵本作家のペンネームを上司幾太、情死 生きた、からとりつけて居ますので。嘘つきの太宰もこの辺で本心をつい、太宰にしてはつい、本心を出したような気が致します。
そもそも太宰の小説から感じられるものは小説書きながらモルヒネ打ってるのか?と言えるくらいの陽気さにおふざけ感、ここについ本心むき出しの心情を感じますが、更に太宰の小説を読みこめば、太宰に限り本心など書くタマじゃない、と言うのが判ります。
更には必要なまで父への恐怖に、マザーコンプレックスから来る女性に対しての甘え、無頼漢へのあこがれ、残念ながら斜陽の直治のような貴族へ対してのコンプレックスはなく、むしろ貴族(金持ちの生まれ)である事の恍惚の中から市井を小馬鹿にし如何にも自分をけなしておりますが、その文体からは変な優越感と見下ししか感じられません。
あと太宰を語る上で欠かせないのが、心中、だけど未遂に終わると云う事です。
これも心中を駆け引きに色々引き出そうと云う狡猾さを感じてなりません、相当のカマってちゃんです、で、最後は山崎富江とマジで死んじゃった。
今回も太宰さん、ほんとは死ぬ気なんてなかったんだろ?と太宰に問いて見たいです。。。。
が、太宰、なにが嘘でなにがホントか小説から来る凄み、どうしてここまでふざけられるのか、即興の感覚。この一小節を入れたいが為の小説。
句濁点の多さから、ここで考えここで書き出したな、とその息使いまで感じられ、つい引き込まれてしまうのが太宰。
僕の見立てでは、太宰は斜陽の直治になりたかったのでしょう、夕顔日記は全く散文的に書いてますが何故かその散文に計算を感じますが、直治の遺書の60パーセント下品になっていますが、姉さん僕は貴族です。に太宰を感じます。
そうしてこうなれない自分との葛藤での間抜けな自分を演じる割にはどうしてもピエロに演じ切れずにカッコをつけてしまう。
道化を演じられるのは真の優越を知る者だけだ、なんてどこかで書いておりましたし、選ばれてある事の恍惚と不安が二つ我にあり、とも引用してましたので、常に葛藤の中で現実の自分と小説の自分をぶつけ合いながら、いよいよふざけてしまい、その微妙な太宰が大好きでたまりません。
小学校の教科書にも載っていた、走れメロスは、太宰の中でも相当ふざけて書いているのに、なぜか僕が子供のころ教科書に載っておりました、メロスは激怒した。だって。。。
僕の感じる太宰の本気は、ヴィヨンの妻に斜陽、人間失格は出だしは太宰らしかったけどなんか怪しいなぁ、と感じます。
きりぎりすも良いですね、お別れいたします、あなたは嘘ばかりついておりました。
どうしても人に弱さと恥を知らせたい太宰、余計なお世話だよ、と思いますが太宰に触れると、つい、自分が恥ずかしくなります。
太宰本人も書いてて恥ずかしくなっているのでしょう、人間失格 第一の手記 恥の多い生涯を送ってきました。笑わせてくれます。
斜陽の中の直治の遺書にも、人間はみな同じだ、どうして自分より優れていると言えないのか、とありました。どうしても自分を優れた人間と言わせたいみたいです。笑わせてくれます。
太宰関連の本で面白いのが、亀井勝一郎編の、愛と苦悩の手紙、太宰の書簡集ですが、その太宰の手紙から一切の愛と苦悩を感じさせないのが太宰です。
なのに小説を読めば、もっともらしく愛と苦悩と弱さと恋と革命に自殺を感じさせるのが、太宰です。
日本屈指の文豪太宰治、是非ふざけている目線で読んでみてください、特に太宰は真面目な風を装っている時こそおふざけ感が半端ありません。