自分の思っている自分とは、自分でありながらとても危うく心の中で存在しております。
その自我の部分が、自分の意識の中にありながら無意識に自我が傷つかないように行っている機能を簡単にご紹介いたします。
・「抑圧」 フロイトの思想の中で一番基本的で、最も重要な概念の防御方法が抑圧になります。
自分、もしくは自我が認められない嫌な事を、無意識のうちにes(エス;深層心理)の中に押し込む。けれどもその嫌な事はリビドー(衝動とも;超簡単に言うと心の中のエネルギー)がある限り、その嫌な事のリビドーはリビドーのある限り、意識にあがって来ようとする。
そこで自我は抑圧を完全なものとするために様々な心的過程を行う、心的過程はこれから下で説明いたします。
抑圧されたものは、ひどいものはコンプレックスを作り、神経症やヒステリーなどの症状を現わし、また、言い間違いや物忘れなど日常生活ににも見られる症状を作る。
生理的に嫌いな人などの名前を覚えられなかったり、行きたくない仕事の時になんとなく鍵を閉め忘れたからと一度家にかえってみたりと。。。
あと抑圧されたものは夢に出て来ます、その時の夢の変換ミスが悪夢になります。(今度夢のシステムは詳しく説明いたします)
抑圧する事により恐ろしい記憶や出来ごとなど、或いは罪悪感を抱かせるような願望(近親相姦や重度のサド、マゾ等々)なども抑圧の対象となります。
ですから良く、私あれトラウマなんだよねぇ~なんて軽く口に出せる事は全然トラウマなんかでなく、本当にトラウマ級の出来ごとは抑圧の対象になり、なにかの拍子でフラッシュバック的な感じで意識にあがってきます。
なにゆえ抑圧するか?意識化に置くに堪えられないからです。
コンプレックスも同じで簡単に言えば、抑圧の対象となったリビドーの、精神のシコリがコンプレックスですからおいそれと意識し、まして人に簡単に話せる訳がないので、わたしぃ貧乳なのがコンプレックス、、、なんて言えるのはコンプレックスでなく、貧乳でも顔は可愛いでしょと言いたいのか、もしくは、僕、微乳派だから巨乳嫌いだよ、と言ってもらいたいのでしょう。。。僕は貧乳でも巨乳でもどちらでも平気ですが、、、
抑圧の基準は人それぞれの自我の裁量次第です、抑圧、例えばですが、血が嫌いな人が赤色がなんとなく嫌いでそこから精神分析したら実は、幼少期に友達が信号無視して車に轢かれてたのを精神分析により思い出したりいたします。
・「否認」
現実を直視せず認めない事であり、自分がある事実を正しく知覚したとしても、それを絶対に認めない。成人が子供と同じように現実を否認するとすれば精神病的である。
フロイトによれば、抑圧は精神症に起因され、精神病は否認によるものと考えられています。少し複雑ですが。
抑圧されたものは再び意識にあがろうとするが、否認されたものは幻覚又は映像として意識にあらわれるが、象徴的なものにはなりえない、象徴の喪失、言語からの除外。
事実では、ヤバいなぁと知っているのに、ヤバくないと、思い込む事によりそのヤバさは想像的、映像的に意識に現れますが、そのヤバさの象徴する部分を、否認により除外しているために、その映像観念は意味をなさない。
パチンコなんかが良い例でしょう、、僕は昨日久しぶりにパチに行って、久しぶりだから負けないだろうと、勝手に僕は負けないと思いこみ、結局ガロで5万円やられて帰ってきましたが、嫁にまさか負けると思わなかったから5万も負けてビックリしたよ、と言ったら、どうして負けないと思ったのかその自信が不思議だよ、、、と言われました。
こんなのは完全に負けると云うリスクを否認した結果です。否認がひどくなるとヒステリーと言って事実を認めない精神病になります。
・「分離」
ある考えや行動とそれに結びついている自分の感情を切り離してしまう事で、否認までは行かないし、そこまで抑圧することでもない、例えば、、、昨日の僕のパチンコの負け。
5万負けて悔しいが抑圧するには微妙だし、否認によりパチンコに行ってない事にするにも勝ったと言い張るのにも無理がある。
昨日確かに僕は5万円負けましたよ、ただ負けたと言っても5万ぽっちだからな、どうでも良いよ、、、みたいに悔しかったと云う感情を切り離して人に話します。で、この悔しい気持ちは抑圧されいずれこの前の負け取り返そうと衝動としてわき上がりまた、パチへと行く事になるのです。。。
いくつか書いただけでこの長さ、続きは次にいたします。この自分の自我の機能を意識し、意識で捉えると、人の心の動きも見えて来ます。
ああ、こんな感じで心にもない事言ったり、行動したりしているのかな?または言葉の端々に本心が見え隠れしていますよ、と他人の心の推測要因として自分の心の動きを使う。
まずは自分を知ることから、、、、
・「反動形成」
ある欲望を抑圧した為に
投影
同一視
合理化
昇華
固着と退行
置き換え