まぁこいつならこれくらいの事してくるよ、とこれくらいの感覚で人と接して居ると何をされても驚くことなく、冷静にその者を見つめつことができます。
ここで普通じゃないことをされて、こんなの普通じゃない、いかれてるよと思ってしまったらあなたはその者に勝つことはできないでしょう。。。
自分の常識外のことを目の当たりにした場合、人は普通や常識を持ち出しその者を否定しますが、なんなんでしょう、普通や常識の中に居るであろうあなたが偉いように感じますが、現実社会の成功者に措いて一人として僕は普通の人を見たことがありません。
その発想、行動、言動すべてが普通じゃなくぶっ飛んでます。
ありえないくらいセッカチさ、ありえないであろうレバレッジ、何かにつけてどうしてそう云う発想になるのかなぁ~と思いますが、なんだかんだ上手く行っているということ。
普通じゃない、は、合理的でない、なのに上手く行く、もちろんしくじった時もデカいんでしょうが、大して気にしている様子なくいつも楽しそうに人に嫌われております。
勝負ごとにおいて、相手が普通じゃないところに一手打ってきた場合、それは奇策なのか?ただのバカなのか?それともこちらの発想外で相手にしてみたら普通の一手なだけなのか?いずれにしても、その場合自分の範疇を超えてきているのですから相手の自分との器の大きさ差を計らなくてはなりません。
奇策には正攻法、セオリーですがある一定レベルを超えて来ると、このセオリーが敗因となり、奇策には更なる逸脱した一手。
その僕の範疇の外からに対してあなたの常識を超えたところからの一手でお出迎え致しますよ。面白いでしょう?僕も楽しんでおります。。。。
この世に普通の人なんて一人もいません、少なくとも僕は普通の人を見たことがありません。
まぁ、普通なんてニュアンス的に使っているのでしょうが、出会う人間を普通の人、と評価するのはなしだと思います。逆に普通の人がいたらそれはそれで異常な人でしょう。
皆どこか変なところを持っています、その変なところが自分に合うか合わないかなだけで、それを否定するのはその人をちゃんと見れない自分の心と頭脳の弱さにあります。
周りには変な人多いいよ~ちゃんと見て否定するのでなく面白がらないと。
そうしてまた自分も普通じゃないという事を自覚する。