将棋の格言ではあります、金の下に歩を張られると、こうも固く歩も使い方によっては役に立つのか、と思い知るところであります。
自分の持ち物で役に立たないのは、自分の使い方が悪いからなのです。
最弱の歩も使い方によっては金と成り、今、手の内にある物をよく見て最大限に能力を引き出せば、何も買い足すことなく戦況を有利に進められるかもしれません。
馬鹿とはさみは使いよう、使いきらんのはそれこそ自分の能力不足で、使えねぇ~と文句を言う前に、ここが駄目ならここで、ここが駄目ならこっちは?それでも駄目なら、、、そもそもの自分の考え方を変えてみて、これはこう使うのでなくこう言う状況でこう使えそうだから、それまではここでこうさせておき、然るべき時までこうさせておけば、被害は最小限で済み、状況さえ整えばこれは最高のパフォーマンスを生み出すはずだから、今は宙に置いておきまして。
最悪の場合はこれを捨て石にこれをこうしよう、そうしたらこれはこれで使えるな、と一つの駒で考えられる可能性はほぼ無限であり、使えないと決めつけるのは己の思考が追い付いてないのです。
木を見て森を見て、イメージを最大限広げてまた木を見て森を見直すと、人の見えない裏側までが見えてきます。
それでも人間一つの考え方に捕らわれます、性能は限られます、ただその性能もこっちで使うのと向こうで使うのでは効果が違う場合もあるのです。
一つ前にしか進めない歩、唯一の移動先をあえて塞ぎ、金の底に置き、まるっきり役に立たない状況に置いて、陣内に侵入されたほぼ最強の飛車を退けられるか膠着状態に持ち込めるのです。
例えば、死の概念、怖いし恐怖でありますが、なに死んだらそれまでさ、と腹を決め、死ぬ気で頑張ろうと考えれば、死の概念も前向きに生の為に使うことが可能になります。
馬鹿とはさみは使いようで、使い方が悪いのは自分の想像力が欠如しているのです。
PS 僕の知り合いの株式会社K4の社長田中和明 木の葉の里に九尾の狐を口寄せしたのは田中和明じゃないのかと噂が出ております。。。田中の瞳力なら全然あり得る話です。