風がたつ、生きようと試みなければならない、、、
ジブリ映画の風立ちぬで主人公が呟いていた翻訳です。風がたつ、生きようと試みなければならない。
良い台詞です、リビドーよ、お前の欲しいのは女か?金か?車か?ギャンブルか?出世か?、自我に抑圧された原始の欲求、リビドー。。。
リビドーの欲求の力はシックスセンスまではいかないですが、触覚的な役割は果たします。
自分は何を求めて何が欲しいのか?わかっているようで人間けっこうわかっておりません。
ただ何が欲しいのかわかれば後はこいつに餌をくれてやればいいだけです、ただリビドーその欲は無限に近く、一度覚えた快感は二度と忘れないと云う習性があるので注意が必要です。
オカルトチックですが、リビドーは不思議な力を持っています、欲しい物を引きつけるヒントやチャンスを引きつける気がいたします。でも直ではくれない。
これはフロイトの弟子のユングもフロイトに提唱しフロイトは非科学的な事を嫌いユングと揉めて居ますが、ユングはけっこうオカルトな精神分析論が多く、人の精神は三位一体に悪を加えて四位一体になんて事も言っていた気がします、これは非常に面白い考えです、人の心、精神分析学では心ではなく精神ですが、確かにその中に悪はいます、特に一見して欲の塊のようなリビドーのような気がいたしますが、僕は取り繕った超自我(良心の監視員)の中にこそ悪は潜んでいると考えます。
知覚の扉澄みたれば、いざ、永遠の実相を現わさん。
またこれ誰の詩か忘れましたが昔の海外の詩人の一文です、なんとなく心の精神の解放を現わした一文です。
芸術は脳みそが描くのか精神が描くのか?答えは簡単、、、精神です。その解放された精神の絵が人間を越え感動させ永遠の実相を人に与えるのです。
まさに、、、風がたつ、生きようと試みなければならない、、、
話が反れ出して来ましたが、どうして生への衝動が抑圧されなければならないのか?それは人間の精神の欲求の上位に共存の欲求があるからで他との折り合いはかなり必要な事なのですが、その所為でフィルターのかかった夢を毎夜見、ストレスを感じ、精神は歪むのです。
ただ抑圧もまた芸術を生みます、いえ、抑圧の中でこそ芸術か映えるのでしょうか?
他と折り合わない狂人の吹かす風、その風が他に感動を与える
またまたジブリの風立ちぬの中から、、、誰が風を見たでしょう僕のあたしも見やしない、けれど木の葉を震わせて風はとうり抜けて行く、風よ翼を震わせてあなたのもとへとどきませ。
人間は生きていても生きようと試みなければならない、難しく力のいる事です。。
また眠くなってきたので続きは明日で、これもリビドーの赴く所為でしょう。
明日こそリビドーのもろ刃の部分に触れる。