自我とは、、、自分とは、、、非常に危うい存在であります、僕はそう考えながら生きております。
遠藤周作も、自分は弱虫でありその弱さは自分の芯の芯までつきまとっている事を認め、他人を見、社会を見、文学を読み、人生を考えることができる、と著しておりました。
これはまぁ、自我の危うさとは関係ないのですが、人間の弱さについての事ですが、、、
井上雄彦の漫画バガボンドでも又八の母お杉さんも、この世に強い人なんておらん、強くあろうとする人おるのはそれだけじゃ、と言い切っております。
太宰治も人間の弱さについて、と云うか自分の弱さについてクドクドと書いておりますが、どうも僕は太宰治が大好きなんですが太宰を弱い人間だと思えなく自殺をブラフに何かを引き出そうと云う魂胆が見え隠れし最後はマジで死んじゃったみたいな、どうしてもふざけているとしか思えないのですが、やはり一応人間はご自分は弱いものと言いたげです。
芥川も漱石もやはり根底に人間の弱さが見え隠れいたします。
ですから精神を読み解く前提といたしまして、まず人の心は弱いと云う認識のもと、推理、推測をいたしますと色々と合致するものがございます。
これは僕なりの見解なのですがまずは、こいつは弱者を装った強者なのか?強者を装った弱者なのか?を見際めます。
強い人は弱いふりや自信があるのに自信のない言動を吐き、弱い人は弱い人で強いふりをしてきます。
又は、強い人が本当に威張っちゃうと逆に弱そうに見えてしまうから敢えて低姿勢の場合も良くありますし、弱者が本当に弱いこと言うと本当にみじめになってしまうからつい言動が大きくなってしまう。
更には、強者が本当に強い態度でいる場合に、弱者が弱いと云う事を認め自信を持っている場合もあります。(これは強者は自分で自分の立場を認める事により一層に他の賛同を得ようとしてるのと弱者はそんなことないよ、と否定を求めているか?同情を求めているのでしょう。。。)
いずれのタイプにせよ、その根底にあるものは人間の弱さです。
その弱さを踏まえ人と自分を見つめると、いかなる言動や態度にも冷静に判断する事が可能です、ああ、みんな弱いんだ。と。。。
太宰の台詞に、どうして人は平等なのか?どうして自分よりすぐれていると言えないのだろう、とありましたが、これは一見自分は人を認められるよ、と素直な自分をアピールしておりますが太宰、、、、僕には、俺をお前らと一緒にするな俺をすぐれていると言え、と云う様にも聞こえます。
人間は嘘しか言わない、と何処かの心理学者が言っておりましたが正にそのとうりでしょう。
人を認めたり褒めたりする裏には、それに見合う自我の優越感をもっているから人の事など褒められるのです。
けなす場合も然り、なんか悔しいから悪口を言ってしまうのです、そうして心の平静を装うのです。
なかなかこの辺は認められないでしょうが、ホントにそう思ったから褒めたんだよぉ~と、はたして本当にそうでしょうか?一度自分の心に自分の弱さを当てはめて考えて見てみると、意外な真実が見えて来ます。ただなかなか自我はそれを認めようとしませんが。。。。
それほど人間の心は弱く、脆く悲しいものです、簡単に崩壊してしまいますから常に防御制御をいたします。
自我の防御制御概念として
抑圧
否認
分離
反動形成
投影
同一視
合理化
昇華
固着と退行
置き換え
などがございます、これらの機能を実に簡単に言うとほとんど嘘で現実を誤魔化して無理やり心を納得させている状態になります。
長くなるので次にこれらの機能を詳しく書きます。
自分の自我を見つめる時、人間の弱さを当てはめると色々と合致するものがございます。