フロイトの弟子で精神分析を語る上では外せない存在ではありますが、師のフロイトが無神論者でありながら、ユングはどちらかと言うと観念論的な見識が多くその辺の食い違いから、フロイトと喧嘩別れすることになるのですが、ユングはキリスト教における三位一体に無意識(悪魔)を加えて四位一体と言う解釈をしているので、ただただ神を信じる者ではなくやはり学者なのかな?と思わせる節もあるのですが、フロイトはガチガチの学者気質でありますので、精神分析において神だの悪魔だと出てくること自体が許せないので、ユングのそういう部分に結構イラついていたのかも知れません。
ユングはユングでフロイトのなんでも、大きな意味での性的解釈にイラついていたのでしょう。
当時のヒステリーは悪魔付きと呼ばれていた時代ですからそこに科学のメスを入れたのが精神分析ですからエクソシストに代わる存在がフロイトでありユングなのです。
ユングの考え方として、錬金術をモチーフに精神の構造発展は四段階からなる説や曼荼羅(サンスクリット語で円という意味)を書いたり、箱庭療法などどちらかと言えば優しい精神分析の手法であります。
ユングはオカルティックなUFOなども分析したり幽霊についての考察も多く何人かが目撃したりする幽霊や幻覚は集団的無意識(地域は違えど太陽崇拝やトーテムポールなど人間のもつ根源的な思考)が起こすものなど、半分精神異常な考え方をもっていて、はっきり言って心理学では全く使い物にならないでしょうが、フロイト同様、哲学をしてユングを捉えると非常に興味深く、原理的な仏教や神学、真理を読み解くのには使える考え方であります。
当時の時代背景とフロイトとユング、精神分析の発展を知りたいのでしたら映画ですが危険なメソッドと言う映画がフロイトとユングの微妙な食い違いや一致点など上手く表現しておりますが、三角関係でユングの不倫相手の女性が事実であるかは映画ですのでわかりませんが、議論している内容など非常にリアルティーのあるものでした。
精神分析の原点に立ち返ると、フロイト派、ユング派、と別れますが、僕は断然フロイト派なのですが、ユングの提唱する神や悪魔の神秘も嫌いでなく、人間の心(精神分析には心と云うものは便宜的にしか使用されませんが)人間の心にはやはり神や悪、愛(愛も精神分析においては共生の欲求という言い方ですが)科学や臨床試験で割り切れなく言葉にできない感情があるに決まっております。
ユングとフロイトが言い争いになり言い争っていたところ、本棚の本が不可解に落ちて、ほら、あなたの知らない世界があるのです。と言ったとか言わないとか。
僕が本心ではフロイト派なのにユングに詳しいのは河井隼雄という日本におけるユング派の第一人者のユングに関する膨大な量の著書を精神分析を読み解こうとほぼほぼ読んだから僕の精神にユングが刻まれているのです。
ユングは事象をシンボルとしてとらえ人類みな兄弟と解釈しております。