読書の秋とはいえ、人間失格の感想は畏れ多く、ただ上の写真は僕の本棚から新潮文庫の太宰集でもう20年くらい前に購入して暇があれば晩年からグットバイまで読み返すを切り返してきたのでございます。
そう、好きなんですね太宰治が。
それでね、人間失格の感想なんて書くのはおこがましいので、ただ僕は前から、太宰治と云うペンネームに自論があり、太宰のペンネームについては諸説あるのですが、僕的にはこの人間失格の作中に出てくる主人公の葉蔵が雑誌に汚い裸の絵にルバイヤットの詩を挿入している画家のペンネームが、「上司幾太(情死、生きた)」と名乗っているのが昔から非常に気になりまして。
この人間失格を、仮に太宰の人生とリンクさせると、どうしても太宰治と作品を読み込んで行くと素直に太宰治と人間失格がリンクさせたくなるのは僕だけなのか?
そんな疑いながら読んでも、人間失格を何度読んでも葉蔵が太宰そのもののような感覚に陥りますからね。さすが太宰治、となります。
仮に太宰と人間失格をリンクさせると。
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