武士道とは死ぬことをみつけたり。
僕は武士ではありません、遊び人です、そんな遊び人も時々思うのが、今まで散々遊んだのだから今更死にたくないですなんて言えないなぁ、本音は死にたくないけど突っ込むしかない。と考え一般常識とかけ離れた生活を送りながらもなんとか生き残っております。
最悪の事態の想定
死んだら終わりです、ただ現代日本において人間死ぬときは死ぬんでしょうがなかなか簡単に死ぬもんじゃありません。ならば強気です。
最悪死ねばいいんだろ、こっちは最初から生き残るつもりはないよ。で僕は、人生に会社に嫁に女に貯金にガンガン好き勝手に揺さぶりをかけます。
こっちは命がけでふざけていますから周りは迷惑でしょう。。。そうすると居なくなる者はなくなり、なくなる物は離れていきます。
ただここが重要なんですが、無茶苦茶やっていても残る者は残り、残る物は残ります。命も同じ自殺したって何かの拍子で生き残る人は居るのですから、生きるものは生き残るべくして生きるのでしょう。
そうして不思議と入って来るものはどんなに使おうと入ってきます。こんなことしてたらいずれ破綻するって?、だったら破綻すればいいだけの話です。それが揺さぶりです。
武士道、小難しい本で我慢して読みましたが安易に死ぬのを良しとしていないようです。そもそも命は主君のものみたいな考えで、なにかあった場合は命を以って責任をとり切腹しますみたいな考え方でした。
忠義に仁に勇など立派な考え方です、そうして死を見据えて生きておりますね。死のう死のうとしている訳じゃないんですね武士は。
僕は武士ではないですから、どちらかと云うと死のう死のう壊そう壊そうとしています、そうしてそれでも残るもの残ったもの、、、、強いんです。
その残った強い部分を基軸にし物事を押し進めて、なに今までも平気だったんだから今回も大丈夫なんでしょう?と、おおまかにかえって全力で生きることができます。
自由、、、周りに僕は生きてて楽しいでしょうと本当によく言われますが、そうでもないと答えております。ある意味命がけな訳ですからまだまだ割が合いませんね。上には上がたくさんいます。なまじかな一手じゃとても足りません。魂燃やしたとしても届かないでしょう。
でも何かを守りながらチマチマし、お前はバカだ(僕の事)あの時アアしてたら俺はこうだったとか、俺も昔は遊んだよ、と僕に良く行って来る大人がおりますが(僕ももう大人ですが)なんてそれこそ死んでも言いたくありませんね。
だったら今こうして、今も遊んでれば良い、ビビって何にもできないのなら黙ってれば良いのに人間はつい負け惜しみで言ってしまいます、武士道でも寡黙で居ろと教えておりますよ。
揺さぶり、ある意味チャレンジです。残るものは残り、消えゆくものは消えて行くけど、入って来るものは入ってきます。そんな事していて本当に死んでしまったら、、僕はそれまでの男なんです。
ただですね簡単に死ぬ気はないですよ死ぬのは怖いですからね、死なないために細心の注意ははらっていますよ、そのための戦術でこれは鬼謀の部類で逆説的ですが生きるための一手です。
その辺の野良猫はノホホンと昼寝してますが全力で生きております。そして本能で全力で餌をとり、警戒心をもって全力生きています、死なんてわからず生きているのでしょう、いいですね、僕も盛りのついた野良猫とたいして変わりはありません。。。ただ吾輩はバカである。