ブリタニカ国際大百科事典によると、認識とは概念+推理+判断らしいです。
ブリタニカ国際大百科事典で調べた事により余計にややこしくなりましたが、認識は甘くしない方が良い、が僕の持論であります。
株にたいする認識が甘いとどうなるでしょう?さらにレバレッジに対する認識不足だったら破産までありえますね。
キャバ嬢にたいして認識が甘ければカモられ、会社に対する認識を舐めていたら倒産します。税金への認識も甘いと大変な事になるでしょう。
自分自身にたいしての認識も忘れてはなりません。僕に限り自分が思ってる以上に馬鹿です。
キャバクラで本当は頭良いんでしょ、なんて言われて、まぁ良く言われますわ、なんて笑ってても少しでも自分は利口だなんて思ったとたんにだし抜かれる事になるでしょう。
一度認識した事は甘くしないし甘くならない、例え遊びの女の子にも。
一見して僕は軽く遊び人に見られます、、、その通りなんですが、ギャンブルにキャバクラ、女と車と遊び呆けておりますが、それらはすべて余力の範囲内でありまして裏を返せば呑む打つ買うの危なさを若い時に経験しておりますので、危ない事と認識しておりますからの余力の範囲内に収めておるのです。
ですからブリタニカ国際大百科事典の認識に概念+推理+判断+α経験を足したら認識の精度が増すのではないでしょうか。。。そんな観点からしますと今の僕の神経を費やしているのは会社に、株に、そうして時間ができたらお遊びなので、もしかしたら僕は軽い遊び人に見られますが神経を費やしてるウエイトを見ますと本当は真面目なのかもしれません。
認識と云う言葉を理解すると物事を甘く考えなくなります。客観視もしなくてはなりませんしそれに対して認識甘いなぁと感じたら勉強もします。
良い事づくめです、概念推理判断の総合が認識です。認識が甘いのはそもそも認識ですらなく認識できてないから甘くなってしまうのでしょう。
五木寛之著の大河の一滴の中に一本の麦だか稲の根を毛細繊維まですべて繋げると月まで到達するから生きているだけで素晴らしいみたいな話がありました(うろ覚えです僕の認識は常にいい加減です)が、認識とは稲一本でもよく知れば舐められなくなります。
認識したらその先の判断基準はよりシビアな判断になります。辛いですね、だからこそ生き残るにはそうする必要があるのです。
PS レザボアドックス リトルグリーンバック、ジンジャー・ベイカー