悪 即 斬 これは、るろうに剣心の元新選組三番隊隊長、齋藤一の信念であり剣技における、突き、を極限まで極めた牙突で敵を悪と断じ、己が一存で敵を悪とし切り捨てるのですが、なかなか勇気のいる行動であります。
更に作中で齋藤一は警官になっている訳で明治初期とはいえ、日本は明治維新後は一応は法治国家の体を保っているのですから許される行為ではありませんね。ましてや警官。
ただ悪・即・斬はやりすぎだと思いますが、この考え方は非常に参考になり、そもそも何を以て悪かは、おそらく元新選組ですから誠の概念以外は悪としたのでしょうが、いちいち裁判などして志士たちを切る裁可を得ていたのでは京の治安は守れなく、即ち疑わしきは罰する、を通り越して、疑わしきは切る、と言う行動力。
人間は、なんて言うと大袈裟かもしれませんが、僕は常にやらない理由を探して生きているような、一日の8割を細かいことを含めれば、やらない事の理由探しに生きているような気がするときすらございます。
今まで生きて来て僕は行動力のある方だと思いますが、それでも毎日毎日何かと理由をつけてはやらない事を探す自分がおります。
考えるの好きね、と自分に言いたくなるくらい考えるとき、必ず迷いがある訳で考えるよりまず行動、と頭でわかっていてもまず体は動きません。
ですからこんな時に悪即斬ではないですが、行動模範と言うか迷った時の精神基準を心に設けておくとオートで行動できるようになります。
因みに全く参考にならないでしょうが僕の行動基準は。
・何かに迷った時はとりあえず面白そうなほうを選ぶ。面白そうな場合リスクは一切考えない。
・儲け話や儲かりそうなときは投資してから後悔する。または後悔しながら軌道修正に励む。
・細かいことはSEXしてから考える、大抵気持ちいいことのあとは何も考えずに眠れます。
・人の言うつまらないことは聞かない、絶対聞かない、死んでも聞かない。
やって後悔するのとやらないで後悔するのはどちらがいいか?簡単です。やっておけば最低で気持ちいい思いができます。
行動した結果なにかにあたり返って来るものに天意が含まれるのであれば行動しなければ何も帰って来ないのです。
良い物も悪い物も何が返って来るなど人智の及ばないものに考えを巡らせ時間を捨てるなら、最低で気持ちいい思いをし、温かいベットの中で果報も凶報も待ち、後悔しながら修正すると人生暇なく遊べます。
馬鹿の手本。