漫画の神様と評される手塚治虫先生、漫画だけでなくアニメーションにも多大な貢献をし、テレビ化されているのはジャングル大帝レオやアトム、三つ目がとおる。いわゆる、白手塚、作品
そうして黒手塚、と謂われる、奇子(あやこ)、これは終戦後青森で当主のじじいが長男の嫁に産ませた奇子を蔵に何年と閉じ込め成長した奇子を一族で犯す、という近親相姦に告ぐ近親相姦なストーリー。
WM(むう)簡単に人を殺すサイコパスな美青年結城と神父で同性愛者で結城と寝る度に罪に焼かれる賀来神父のストーリー。
と軽くこの2作のワードに触れただけでもかなりタブーであり、さらに神父と同性愛をあえて組ませるあたりが手塚治虫の黒な部分にあたります。
あとは灰色手塚、ブッタに火の鳥、アドルフに告ぐ、キリヒト賛歌、陽だまりの樹などこのあたりが手塚治虫先生の真骨頂なのかな、と感じる作品群です。白にもより過ぎず黒すぎる訳でもない。
ブラックジャックのピノコなんかも可愛く描かれておりますがその生い立ちはすさまじいものがあります、ブラックジャックの本名、間黒男の生い立ちも然り。
この幅の広さが僕はどうしても理解できなく、描いて描いて描きまくって頭のうちから心の内まですべて創作に捧げ描きつくしたらこう、森羅万象、くらいの作品幅が出てくるのでしょうか?そうじゃなければ一人の人間から説明のつかない量に質でありこれが神と評される所以でしょうか、森羅万象と書きましたが、大袈裟じゃなく、火の鳥、をちゃんと読み終えると森羅万象を知った気に浸れます。
ブッダを読むとなんか悟りの境地が少し理解できるような気がいたします。
なんで悟りについてここまでわかるの?となります、これって悟り開いた人しかわからない境地でないの??え、悟ってるの。。。となるのです。
それくらい一つの作品に対して見識が深くそうして作品の幅はその作者のパターンがないくらい広く多義にとんでおります。
ただ多少のパターンを言えばメタモルフォーゼ、変身に対するパターンは伺えます。
リボンの騎士からWM、七色インコとにかく変身変装が多いのは見て取れます。なんだったら、カフカの変身も自身で漫画化してますしメタモルフォーゼというタイトルの漫画も描いております。
子供のころ虫が大好きでしたからその影響か何かしらの変身願望があったのか宝塚も好きだったらいしので役者に対する憧れか。
エロティシズム、生命、一個の生命から生物全ての生命、宗教、戦争、過去、未来、とテーマが大きすぎてとにかく凄い、としか言えなくなってしますのです。
僕は普通に購入できる範囲での手塚治虫作品は全て読んでおりますが手塚治虫の作品で何が好きかと言われるとかなりマイナーですが、四谷快談、と言ってお岩さんと少年が同棲した話があるのですが、お岩さんを題材にすると祟りがあるからお祓いしてからなんて話を聞きますが、この話は祟られる事なんてないでしょう。
本当に漫画が描くのが好きなんだろうなとあと手塚治虫が描くとお岩さんもなんかエロくなる、と言う、なんとなく僕の中での手塚治虫が伝わってくる作品であります。タブーには触れる、ただ描きたいことがここにあるんだと、なんとなくそんな感じがする作品であります。
寝る間を惜しんで書き続け、病床で死の間際に仕事をさせてくれ、と亡くなったそうです。凄まじい。