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マニアな話し 僕のロック黄金期について

マニアな話し 僕のロック黄金期について

僕にとってのロックとは1965年から1975年の十年間くらいであり、1969年のウッドストックをピークに、ジミヘンドリックス、ジャニス、ドアーズ、ザ・フー、テンイヤーズアフター、ジェファーソンエアプレーン、ストーンズ、ビートルズ、ボブディラン、Tレックスなど数えきれない才能がドラックでレバレッジを掛けて才能を燃やしあふれ出した時期でありまして、ただそのレバレッジの反動からこの1969年あたりからバタバタと主要人物が死に出しだ時期でもあります。

この時期名前の上がるバンドで死人を出していないバンドの方が少ないくらい、ロック界における致死率は高く、ジミヘン、ジャニス、ジムモリソン、マークボラン、オールマン、有名なローリングストーンズからですらブライアンジョーンズと言う大才を失っております。

そうして死因はほぼオーバードーズによる原因不明死、このあたりの経緯から村上春樹も何かの小説の中で詩人は20歳、ロッカーは25歳で死ぬ、25歳がデットマンズカーブだと言っておりました。

因みにデットマンカーブとはおそらくオールマンブラザーズバンドのディアンオールマン24歳が1971年にバイクで事故死してその翌年メンバーのベリーオークリーも同じところでバイクで事故死していることから村上春樹が名付けたと思われます。

このように名を馳せたロッカーが次々と死んでいく訳ですから、そりゃーロックも衰退する訳であり、ジムモリソンも死ぬ直前にロック・イズ・デットと歌っておりました。

残念過ぎるくらい才能もった若者がバタバタと死んで行く訳ですが幸いな事にレコードでその魂の記録が残っており、特にウッドストック 愛と平和と音楽の3日間というDVDが出ておりますのでそれを見ると如何にこの当時のロックムーブメントと言うか、厳密に言えばヒッピームーブメントになるのか、反戦運動になるのか、と迷うところではありますが、ロックに限らず音楽、サイケリックアートと薬を以てベトナム戦争反対から端を発した、この芸術の持つ何かに反発する力がこの当時ですと、ドラッグと音楽だったのか、愛と平和の祭典でカントリー・ジョー・フィッシュのファックの大合唱から始まるFeer Like Imは本当になんかベトナム戦争が終わるんじゃないかと言うような一体感であり、とても感動したのを記憶します。

ただとても残念なのは、カントリー・ジョー・フィッシュあれだけ感動させてくれたのにデットマンズカーブを生き残り、なにかのインタビューで長生きしてゴールデンレコードが欲しいようなことを言っていたのにとても驚きました。なんだったらウッドストックにおける反戦の象徴ぐらいの勢いでしたのに、ああ、ロッカーも生き残るとこうなっちまうのか、、、と

やはり村上春樹が詩は死後100年、小説は50年、ロックは10年経たないと信用しない、と言うようなことを書いていたと思いますがそのとうりだと思います。

だまされたと思ってウッドストック 愛と平和と音楽の3日間 見てみてください。

ロックを全く知らなくてもその魂の燃やした音曲の記録に感動しますから。

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