嫌われる勇気なんて本がございましたが、たしかに嫌われるのも悪くないね。
僕もなかなか人に嫌われることが多いので、好かれることも時々はございますが本当に時々、まぁ大半は嫌われているのでしょう。
どうして僕は自分が嫌われていると思うのかと言いますと、僕は色々思いついたらなんでもチャレンジします、そうして僕の失敗したときやトラブった時の周りのうれしそうな顔のこと、かなり仲の良い株式会社K4の田中和明すら、僕が参ったよ、と話したときに見せる笑顔がなんかムカつきます。。。
古来から日本には、出る杭は打たれる、という諺がございますが、出なきゃ打たれることもしないから僕はいつでも無用なトラブルを招くような生き方をして常に全力で自分の器というか運というのかを試しているのですが、大体は余計な事したな、とガッカリと後悔しながら生きてくことになりますが、後悔なければ反省もなく成長もなくなります。
もっとも何事もなく学びそうして成長していければいうことないのですが、そうお上品に人間性も頭脳もできておりませんので、えへらへらつきながら、俺が負けるわけがないとふざけながら生きていると嫌われて敵が増えて行くのです。
そうしてまたこう言うことを言うと人に嫌われるのですが、えして何もしない者が何かしようと努力するものを笑い、あろうことか足さえ引っ張るのであります。
太宰治が言っていた、世間とはあなたのことでしょう。という人に対する嫌味ですら自分を隠しその他大勢の中からしか言えない人達に嫌われることなどどうでも良いのですが、僕もまた、嫌われる事をどうでも良く思ってないからこういちいち言っている小さい自分がいるのも事実でこういう小さい部分も嫌われる要因なのでしょうかね。
人間誰だって平穏な日々に憧れます、でも平穏が続けばそれは退屈な日々に感じてしまいます。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、虎の子なんて獲ったってなんの価値もわかりませんが虎狩りは実にスリリングなんでしょう、危ないな狂っているのかな、無用な避けたら起きないトラブルもわざわざ首を突っ込んで覗き見る、ガキみたいなくだらない好奇心という杭はたたかれようと折られようと、生きている限り出てしまうのです。
あとはそうね、何が来ようと負けない自信があるのでしょう。こうして僕は人に嫌われて行くのです。
ただ時々僕が負けている時の周りのほんとに嬉しそうな顔なこと。。。