僕が常々こだわるのは自分の小遣いとなる勝ち、すなわちギャンブルでの勝ちであり、会社の収支など税理士に任せておけばよく僕のこだわりは僕自身の収支で1万円~100万円くらいの自分の小遣いの金の動きがなにより大事であり、それ以外はあんまり興味がもてません。
僕はパチンコ、競馬、競艇、株、と身銭で打つことはすべて1000円単位で必ず収支しております。
自分に限らず賭け事をする人間はどういう訳か自分がトータルで勝っている者と思い込もうとしており、そんなことは必ずないのですが頑として自分は勝ってると思い込もうとヒステリックになております。
僕もそんな気持ちは痛いほどわかるのですがアカギで、
全ては現実の中にある勝つということは現実の中の出来事なのだ 現実(リアル)を追求せずして勝てるわけがない。
と言っておりましたので、収支をつけてみりゃ~現実は、大負けじぁないか‼
ね、収支表を見る度に嫌な気持ちになるでしょう、そうしてリアルに記した負けを見るとなんとか取り戻そうとしまた負けてまた収支のマイナスが増えてくると、そろそろ気分的に正直に収支を付けるのが嫌になってきますが頑張りましょう。
逆の発想でいくらまで負けるのかを記載するくらいの気持ちで収支は正直に記載してください。
そろそろ本気でギャンブル辞めようと、考える、のではなく、思う、でしょう。
思う、としたのは考えることのできる人間はそもそもギャンブルなんかに嵌らないですから、僕やあなたは辞めようと思うだけで辞められやしないよ、またやめる気もないですからね。ただ収支を見る限りギャンブル辞めたくなりますよね。
でもでも断言できますがやめられない、そうしてまた収支のマイナスだけが不気味に増えて行く、一体この金はどこから出て居るんだろうと、自分で不思議になるくらい負けだけが増えて行きます。
負けが当然の如く増えて行くのが数字でわかるので負けることが当然となり、未だに宇宙空間に漂うカーズのように考えるのをやめることになるますと見えてくる境地、考えるまでもなく負けて当然と謂う心。
僕はこの境地に10年くらい前にたどり着きました。それでもちゃんと収支はつけています。
負けに慣れるとどうなるのか?一番は追加の負けがなくなります。
どういうことかというと負けて当然ですので負けを取り戻すための勝負をしなくなりますので、所謂サンクコストな負けがなくなります。
ただ次に打ちに行ったときにまた負けるのでマイナスの総量は増えて行きますが、前回の負けの感情を引きずることはないので、ギャンブル的に言えば完全確率である以上、サイコロは記憶をもたない、と算数の先生は言いましたがそれと同じで僕も前回の負けの感情なく唯々今日の勝負に、いえ、ほぼ負けが確定しているので勝負ではないのかもしれませんが今回のプレイに前回の感情が絡むことはございません。
でも収支をつけているので記憶は持たないですが記録は残ります。
負け慣れると怒らないから俯瞰して物事を見れるようになります、あと負けるの慣れてるから変なプライドなく失敗が怖くないので色々とチャレンジできるようになります。
失敗の一番怖いのがしくじると恥ずかしいと云う感情ですからなんたって負け慣れてるので恥にも慣れています。
そういう意味ではほぼ胴元の勝つギャンブルは負けを知る上では非常に効率の良い遊びのような気もしますね、負け惜しみじゃないよ。
ただ収支をちゃんとつけておかないとどう言う訳か、勝ってると思い込んでしますので、ちゃんと数字を見て現実を知り自分の運の無さと無知を認識するのはギャンブルにおける唯一無二のメリットではないでしょうか?
ではどうして僕は負け続けて居るのに賭け事をするのか?中毒だから???
アカギの格言にこんなのがありました。
不合理こそ博打それが博打の本質、博打の快感不合理に身をゆだねてこそギャンブル
もともと損得で勝負事などしていないただ勝った負けたをしてその結果
無意味に人が死んだり不具になったりするそっちのほうが望ましいその方がバクチの本質であるところの理不尽な死その淵に近づける!醍醐味だ