司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を気の遠くなる気持ちで半年間くらいかけて読み終えると、司馬遼太郎の竜馬こそ竜馬であり、また司馬の小説は当時の書簡などを使いながら小説を構成しているので、歴史長編小説(フィクション)と、わざわざ本の紹介に書いてあるのにさも史実のような感覚に陥ってしまいます。
そうして漫画の「おーい竜馬」を気軽に読むと漫画としては非常に楽しく那須慎吾の紅葉のシーンや半平太の切腹に涙すら流れて感動しますが心のどこかでなんとなく史実に忠実でない気がして一瞥の否定感が拭えません。
今度はまた司馬遼太郎ですがこれまた根性決めて、燃えよ剣と新選組血風碌を読破すると今度は思想まで尊王攘夷にとりつかれ勤王に佐幕と心は揺れ、その後にるろうに剣心や高橋ツトムの士道を読むと非常に楽しいのですがやはり心に史実に忠実でない気がして一瞥の否定感が拭えません。
三国志も然りで三国志は陳寿正史と三国志演義となっているのにも関わらず諸葛孔明のない三国志はつまらなくフィクションの極致がYouTubeのお勧めででてきたパリピ孔明でしょう。
全く意味が分かりませんでしたが、もしとてもまじめな史実派の人がパリピ孔明をみたらどう思うのか!
さらにお勧めで出てきた真三國無双8と言うゲームでは孔明は半分空を飛びながら扇子を振るって敵をたくさん吹き飛ばしておりました。そこには三顧の礼も天下三分の計もなにもありませんでした。
先月、岡田准一主演映画の燃えよ剣を見たらもう岡田准一が土方歳三にしか見えなく、更に司馬遼太郎の燃えよ剣で油の小路の翌日の町人の話に油小路に指がたくさん落ちてた、と書いてあったのが映画でもそのようなセリフがあった時に史実に忠実だなぁと勘違いした自分がおりました。
ですから歴史上の人物を語るときは、なになにの竜馬が好きで、と前置きするといいかもしれません。三国志では陳寿の三国志が本線であると考えているけど演義もまた楽しく、諸葛孔明はやっぱりパリピ孔明の諸葛亮が一番だね。と。
あと最近の歴史の嘘、的な読み物、船中八策や薩長同盟は実は無かったとかそもそも鎖国自体していなかったや真珠湾の真実とかそんな史実の真実を追求する読み物もまた楽しく、誰の歴史の解釈、誰の歴史の翻訳と考えると歴史ものを読むときは一番しっくりくるかもです。
歴史ものは史実派が多いように感じます、僕もどちらかと言えば史実的な感じのほう派ですが、考えて見れば自分の人生すら何が本当で何が嘘かもわからないのですからそんな100年も前のことで嘘だホントだ考えたところでわかる訳ないしわかったところで読み物として面白ければどうでもいいと、歴史を考える上で一番言っちゃいけないことのような気もしますが、パリピ孔明も何話か見て内容がいまいち理解できませんが頭の中でチキチキバンバンとOPテーマがこだましています。
孔明は三顧の礼で迎えられ天下三分で大国魏をけん制し、泣いて馬謖を斬ってわざわざ死諸葛走生仲達までしたのに。
パリピ孔明舐めすぎだろwww